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こんな言葉があります。
「疑う者は 『人間は飛べない 』と言う。
実行する者は『わからないけれどやってみよう』と言う。
そして最後には、
信じなかった者が下から見上げている間、信じた者が朝焼けの中に舞い上がるのだ」
どこかの
カリスマ経営者の言葉でしょうか?
宗教家の言葉でしょうか?
いえ、どちらも違います。
香港のカンフーヒーロー
「ドラゴン」と呼ばれた男
ブルース・リーの言葉です。
ブルース・リーといえば、
ヌンチャクを使い、
「アチョー!」という
独特の叫び声を発して戦う
中国人のアクションスターというイメージが、一番強いことでしょう。
1970年代前半に
世界中にカンフー映画ブームを巻き起こした男です。
漫画「北斗の拳」の
ケンシロウは、
まさにこのブルース・リーがモデルの一部になっています。
(作者の原哲夫さんが言っています)
「ドラゴン危機一髪」
「ドラゴン怒りの鉄拳」
「ドラゴンへの道」
「燃えよドラゴン」
これらの映画で
ブルース・リーは主役を演じました。
彼は、
単にカンフー映画のスター
というだけでなく、
それ以前に「武術家」でした。
彼の武術の強さは、
映画の共演者や
様々な関係者によって、
いまだに語り伝えられています。
ブルース・リーの強さ。
よく言われるのは、
そのスピードとパワーです。
スピードでいえば、
彼のパンチ、キックなどの動きは、あまりにも早いのです。
映画では、早すぎて、
観客の目に止まらない恐れがあるため、微妙に高速撮影(スローモーション撮影)をしてスピードを落としているカットがあるといいます。
パワーでいえば、
「燃えよドラゴン」の撮影時、
敵役の男(役名:オハラ)を、
渾身のサイドキックで蹴り飛ばすシーンがあるのですが、
リーが蹴ると、
体重90Kgを超える屈強なオハラが、後方にすっ飛んでいきます。
ちなみに、ブルースは
170cmに満たない身長です。
オハラがすっ飛んだ先にいた何人かのエキストラが、オハラの体になぎ倒されてしまうのですが、
そのうちの一人が、
衝撃で骨折してしまったのです。
そして、
折れた骨が皮膚から突き出してしまった、というのです (゜Д゜;
(映画では見えません。オハラ役のボブ・ウォールの証言です)
あくまでも、
リーに直接蹴られたのではなく、
蹴られたオハラにぶつかって、二次的に倒されたのです。
もちろん、撮影なので、
リーも、本気で相手を倒すつもりではなく、手加減していたのだと思います。
それでも、これほどの威力があったということです。
蹴られても無事だったボブ・ウォールの強靭な肉体も、すごいと思いますが (^-^:)
リーに熱狂し、
感銘を受けたのは、
劇場の観客ばかりではありません。
当時のハリウッドスター
ジェームズ・コバーン、
スティーブ・マックイーンなどをはじめ、
多くの関係者、俳優、
武道家たち、
一般の弟子たちが、
ブルースリーを師と仰いでました。
彼らは、
リーの「強さ」にだけではなく、
「生き方、考え方」にも共感していました。
そんな、
まさにカリスマといっていい
ブルース・リーですが、
彼も、生涯様々な場面で戦ってきたようです。
ドラゴンは
いったい何と戦っていたのでしょうか。
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ブルース・リーは、
サンフランシスコで生まれました。
香港で子供時代を過ごし、
8歳のころから
子役として多くの映画に出演しています。
その一方で、武道を学びます。
少年時代の彼は、
とにかくケンカが強く、
不良少年で、
異常に女の子にモテて、
いろいろな意味で「問題児」だったようです (^-^:)
しかし一方で、
役者の子として何不自由なく育ってきた息子・リーの将来を案じた彼の父(喜劇役者)は、
彼が18歳のとき、
たった100ドルを持たせて、単身アメリカに渡らせます。
「あとは自分でやってみろ」というわけです。
なかなかすごいお父さんです。
リーは、シアトルで新聞配達をしながら職業訓練学校に通い、さらにワシントン大学にまで進みます。
その傍ら、
食べていくために、
彼は、空き地や公園で「武術の道場」を開きました。
すると、
続々と、彼の道場に
入門者がやって来ました。
初めは、黒人が多かったようです。
(※「黒人」「白人」などの表現を使いますが、背景を説明するためであって、差別的な意図はありません)
香港にいた少年時代、
香港がイギリスの植民地だったこともあり、白人は良い待遇を受け、中国人は虐げられていました。
そうしたことへの怒りが、
リーには溜まっていたようです。
不良になったのも、そうした背景があったようです。
しかし、
ここアメリカでも、
黒人と同じように、
アジア人は差別されていました。
彼の武術道場では、
体を武器にする術を学べるとあって、黒人にとても支持されていたようです。
それは、
虐げられていた彼らが生きのびていくために、必要だと感じたのでしょう。
しかし、リー自身は、
黒人も、アジア人も、白人も、
分け隔てなく扱い、
共に武術の稽古に励みました。
白人の入門者も増え、
武術を通じて、人種の壁を取り払っていったリーは、いつしか彼自身も、人種差別のこだわりから開放されていったようです。
彼は、こうした経験も通して、
「型を壊す」ということに、注目していったようです。
「型を壊す」とは、
従来の型にはまってしまうことを避け、柔軟に対応するということです。
武術の思想でもあり、
同時に、生きていくうえでの知恵でもあります。
そのうちにリーは、
武術の腕を見込まれて、
テレビドラマの脇役の座をつかみました。
「グリーン・ホーネット」というアメリカのドラマで、カンフー使いの東洋人青年役(実は日本人役)を演じました。
役者として、大きな一歩です。
しかし、その後もずっと、
依頼は「脇役」ばかりで、
「主役」の話は一向にやって来ません。
それもそのはずです。
当時のアメリカ、
白人社会では、
東洋人が主役に抜擢されるなどということは、ありえなかったからです。
その最たる例が、
リーが作った「中国人が主人公のドラマの企画」です。
少林寺の中国人の僧が
アメリカを旅する話。
この企画を持ち込んで、
制作は決まりましたが、
主役にはリーではなく、
白人の俳優が採用されたのです。
リーがあまりにも「中国人的過ぎるから」というのが、理由だったそうです。
あたりまえです。
中国人なんですから。
(リーは香港の人ですが、ここでは中国人とします)
つまり、中国人を主役にたてることはできない、ということです。
(これは「燃えよ!カンフー」というドラマでした)
悔しさの中で、
リーは香港に帰りました。
主演映画のオファーが来ていたからです。
カンフーアクションとして
彼は主演を演じました。
そのどれもが大ヒットし、
自分のスタイル・やり方が間違っていないことを、確信したようです。
そして、その後ついに、
ハリウッドから「主演の依頼」が来ました。
「燃えよドラゴン」の主役です。
待ちに待ったハリウッドデビュー!
白人社会の中で
ようやく一人の中国人が、
認められる日が来たのです。
ストーリーの舞台は香港。
国際情報局に依頼され、武術大会を主催するミスター・ハンの悪の組織を調査し、壊滅に追い込んでいく主人公「リー」の活躍を描いたものです。
(劇中でも「リー」という名前です)
もちろん、カンフーアクション満載です。
ところが、
晴れの撮影当日に、
彼は、周囲が思いもよらない勝負に出ました。
「映画のタイトルを変えてほしい」と、映画会社に掛け合ったのです。
脚本段階であげられていた映画のタイトルは、
「BLOOD AND STEEL(血と鉄)」
「HAN’S ISLAND(ハンの島)」
などでした。
結局、撮影開始時は、
「BLOOD AND STEEL(血と鉄)」で進められていたようです。
リーはそのタイトルを、
「Enter The Dragon」にするように迫ったのです。
「Enter The Dragon」とは、
「ドラゴン登場」という意味です。
ブルース・リーの
中国語の芸名は
李 小龍(リー・シァォロン)です。
「ドラゴン」という名は、
カンフースターとしての通り名であり、同時に、彼の芸名の「龍」でもあったのです。
「Enter The Dragonというタイトルを認めなければ、撮影には出ない」と迫るリーに、映画会社はついに承諾しました ( ̄▽ ̄;)
彼は、
世界に対して自分を宣言し、
東洋人、中国人であることを宣言し、「ドラゴン = 李 小龍」が登場したことを宣言したのです。
白人至上主義であったハリウッド映画界に、一つの革命が起きました。
人種の違いを超えて「本物が認められた」のです。
1973年8月
「Enter The Dragon(邦題「燃えよドラゴン」)」は、ハリウッドのチャイニーズ・シアターで公開され、大ヒットを記録しました。
しかし・・・!
公開直前の1973年7月に
ブルース・リーは、他界してしまいました。
死因は、脳浮腫とされています。
なんと、32歳の若さでした。
彼は、
「Enter The Dragon(燃えよドラゴン)」に沸く観客の熱狂を見ることなく、天に昇ったのでした。
全てのエネルギーを
出し尽くしてしまったのでしょうか。。。
しかし、
彼の映画はいまだに人々を熱狂させ、彼の偉業はいつまでも語り継がれています。
前述のオハラ役のボブ・ウォールも、「燃えよドラゴン」の後ずっと、何十年もの間サイン会やエピソード語りをしているそうです。
生前、
リーはインタビューに
こう答えていたそうです。
インタビュアー
「あなたは中国人ですか?
それともアメリカ人ですか?」
リー
「僕はこう言いたい。
人間として、この空の下
ファミリーはひとつだけさ」
32歳の師の言葉です。