今いる世界は夢か現実か?

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あなたは
夢の中で夢を自覚することは
あるでしょうか?

「これは夢だ」
「今、夢を見ているんだ」
と認識することです。

それが夢だと自覚しながら見ている夢
これは「明晰夢」と呼ばれ
脳内で前頭葉が「半覚醒状態」のときに
起こると考えられています。

「半覚醒状態」とは
眠っていながら一部目覚めている状態
ということでしょう。

通常の夢は
それが夢なのか現実なのか定かではなく
意識すらしないまま
見ていることも多いと思います。

 

「明晰夢」を見る可能性は
誰にでもあるといわれていますが
いつ見るのか、どうやったら確実に見れるのかは
定かではありません。

しかし
「明晰夢」の経験者の中には
それを見ているときには夢を思い通りに制御できる
という人もいるようです。

 

ところで、もし
今いるのが夢なのか現実なのか
区別がつかなくなった
としたら
恐ろしいことです。

 

1999年に公開された
映画「マトリックス」。

そこでは
人が、「覚めることのない夢」に囚われて
コンピューターに生涯管理されている
という恐ろしい世界が描かれています。

 

マトリックスの世界に入る前に・・・
WordPress(ワードプレス)のお話を一つ。

すぐにマトリックスに入る人は、ここまで飛ばしてください (^-^)/

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「プラグインって
いくつぐらい入れたらいいの?」

WordPressを使い始めると
まず例外なく、何らかの
プラグインを導入すると思います。

プラグインは
WordPressにない機能を簡単に加えることができて
とても便利なツールです。

例えば、

  • 文字装飾を便利にするプラグイン
  • 自動で目次を作るプラグイン
  • 問合せフォームを作るプラグイン
  • バックアップをとるプラグイン

などなど、実に様々なものがあります。

 

普通なら、高額な費用を払って
プログラマに作ってもらうような機能を
多くの場合無料で導入することができてしまいます。

同時に、便利なだけに
あれもしたいこれもしたいと思って
ついついたくさん入れてしまうこともあるでしょう。

しかし
プラグインをあまりたくさん入れ過ぎると
動作が遅くなったり
思いもよらない不具合が発生する可能性もある
ので
注意が必要です。

では、いくつぐらいまでが妥当かと言えば
サイトの内容や仕様によって様々かと思いますが
できれば8~10個ぐらいまでが理想と言われています。

とはいえ
僕の場合も入れ過ぎのサイトが多いです (^-^:)

入れ過ぎだと思う場合
すぐできる対処としては

いったん入れたプラグインでも
使わなかったり一度使って用済みのものは
停止して削除するのが良いでしょう。

必要になったときにまた入れればよいのですから。

 

詳しくはこちらをご覧ください。

【管理】何でプラグインの入れ過ぎに注意するの?いくつぐらいがいいの?

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今いるのが夢なのか現実なのかわからない。
これは、恐ろしいことです。

この恐ろしさの源は
人の感覚とはあいまいで不確実なものだ
と感じることからきているように思えます。

「自分の意識は果たして確かなのか?」
という疑念につながります。

 

しかし

自分が確かなのかどうかをはかるものが
自分の中にあるでしょうか?

 

例えば、認知症の人は
短期記憶が弱くなると
ついさっき話したこと、体験した事を忘れてしまいます。

一度話したこと、体験したことでも
繰り返し繰り返し
まるで初めてのことのように
話したり行動しようすることがあります。

周りから見ると
常軌を逸した行動かもしれませんが
本人にとっては(毎回が)初めて行なうことなので
ごく普通の行動なのでしょう。

 

認知症でなくても
思い込みや少々の妄想ぐらいの性質は
おそらく誰もが持っていると思います。


例えば
「考え事をしていて周囲に注意がいかずに
車にぶつかりそうになった」としましょう。

このとき
周囲の音や情報は遮断されて
自分だけの世界にいたことでしょう。

あるいは
「自分の思い込みで集合場所を間違えて
一人で別なところに行ってしまった」

単なる不注意と言えばそれまでですが
思い込みで思考を進めていた。
そしてそのまま気づかずに
実際に間違った場所まで行ってしまった。

などなど。


自分の内的な感覚だけで
意識を作ったり行動をとること

人にはあると思います。

自分が現実の世界をそのまま見ているのか
あるいは自分の思い込みの中にいるのか。

それらを常に明確にすることは
人にとっては、意外と困難なことなのかもしれません。

 

大正生まれの小説家夢野久作の
「ドグラ・マグラ」という小説があります。

構想・執筆に、10年以上の
歳月をかけて完成したと言われる小説で
日本探偵小説の「三大奇書」に数えられているそうです。

「精神病科の独房に閉じ込められた
青年の患者の物語(らしい)」です。

※らしいというは、物語を読んでいると
どうもそれすらも事実としてとらえてよいかどうか
自信がなくなるのです。

 

想像を超えて展開する
主人公の幻想や意識の移り変わり。

果たして、主人公が正常なのか異常なのか
読んできたどこまでが現実の場面だったのか
次第に区別がつかなくなってくるような
錯覚に陥ります(;^_^

読んでいる自分の感覚が
怪しくなってきます。

ちょっと過激な部分もあり
複雑で奇抜な構成ですが
とてつもないインパクトのある小説です。

 

 
 
 
 
 
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さて、映画「マトリックス」では

「未来世界で人間に反乱を起こしたコンピューターが
人間をカプセルの中で管理する」という
異常な世界が展開します。

この映画は、ご存知の方も多いでしょう。

カプセルの中で眠った人間は
生存に必要な酸素や養分を送り込まれて

後頭部にプラグを付けられ
意識を「仮想現実(マトリックス)」につながれます。

 

人間は、あたかも
普通に生活しているかのような世界を
体験するのですが、
これは全てコンピューターが作った
プログラムの世界なのです。

そして、実際の人間の体は
眠った状態のまま
カプセルの中でその生涯を終えます。

誰ひとり、それが
プログラムによって作られた「夢の中」
であることに気づきません。

 

その中で
「ネオ」と呼ばれる青年
彼を探していた者の協力によって
マトリックスから目覚めます。

やがて彼は、
コンピューターによって作られた
超人的な力を持つ番人(エージェント)たちと戦いながら
わずかに生き延びて地下深くに住む人間や
マトリックスに閉じ込められた人間の開放のために戦う、という物語です。

 

衝撃的な内容とスタイリッシュで斬新な映像。

精神世界の謎解きと激しいガンアクション
さらに、カンフーアクションまでが融合した
それまでに全くなかった革新的な映画です。

「マトリックス」が大ヒットした後
いくつもの映画やドラマが
そのスタイルや手法を真似する
ほど
大きな影響を与えました。

また観たくなった人は、是非観てください (^-^)

 

斬新な映像もすばらしいですが
この映画の重要なメッセージは
もっと他にもあるように思えます。

「救世主」と呼ばれる主人公・アンダーソンは
実はもともと救世主でもなんでもない
どこにでもいる青年だったのです。


彼は、ごく平凡な会社勤めのプログラマーでした。

同時に、通称「ネオ」という
違法な天才ハッカーとしての裏の顔も持つ男でした。

アンダーソンはあるとき
「モーフィアス」と名乗る謎の男から

この世界に疑問を持っていないか
とたずねられます。

「真実を見てみたくはないか」と
問いかけられます。

しかし
モーフィアスの言葉は謎めいていて
果たして何を言いたいのかつかめません。

でも、アンダーソンは
モーフィアスから何かを感じ取り
目覚めるための薬を飲むことになります。

はじめは「何ら確信がないまま」
真実を知る道を「選択」するのです。

 

薬を飲むと
彼は意識が覚醒して
生命維持装置やプラグをはずされ
現実の世界に目覚めます。

そして
今まで生きてきた世界は
コンピューターによって作られた仮想現実だった

ということを知るのです。

彼は大きなショックを受けます。

 

やがて彼は「現実の世界」で
マトリックスの番人である「エージェント」と呼ばれる
超人的な男たち(プログラム)と戦うための訓練を受けます。

訓練といっても
生身の体を使うのではなく
マトリックスに「接続」して
自分の神経能力だけで戦うために
仮想現実の中で戦闘訓練や
ジャンプトレーニングなどをするのです。

 

アンダーソンは、モーフィアスが
自分を「救世主」と信じていることに対して
受け止めきれないような感情を抱くように見えます。

自分は本当に「救世主」なのだろうか。
でも、なぜそう言い切れるのだ?

なぜモーフィアスは
狂信的なまでにそう信じているのか。

その答えは、最後まで明確には出ません。

しかし、戦うに従って
アンダーソン(ネオ)は
自分が「選択」をする状況になってきます

モーフィアスは
アンダーソンを目覚めさせる前に、彼に言いました。

 

「君は、君の心の囚人だ」
(You are the prison of your mind.)

 

謎めいた言葉ですが、

「囚われの身になるのも自由の身になるのも、自分の心が決めることだ。
自分の心が現実を作り出すのだ」

そういう意味でしょう。

 

 
 
 
 
 
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やがてモーフィアスは
エージェントに追い詰められたとき
自分を犠牲にしてネオを救い
エージェントに捕まってしまいます。

そこでネオは
自分がエージェントからモーフィアスを救うことを「選択」します。

 

自分は何者なのか
自分に何ができるのか(どう行動するのか)を
彼は決めるのです。

 

この映画は、様々な点で
現代社会の姿を映し出していると思います。

張り巡らされた「社会」というシステム。

そのルールの中で従って生きていることは
ある意味「社会」の奴隷でもある。

「社会」というシステムから外れて(プラグをはずして)
自由になることもできるが
それには危険も責任も伴う。

そして、自由であるなら
「自分にとっての現実」を作っていかなければならない

この映画は、そう言っているように思えます。

 

モーフィアスにとってもネオにとっても
結局のところ
何ら「信じる根拠」はなかったように見えます。

「根拠」など最初からどこにもなかったのです。

ネオが、最終的に「救世主」になったのだとしたら
それは、彼が特別な存在だったからでなく

彼が「そう選択した」からなのです。

 

我々も、何かに挑戦してみて
それが成功するか失敗するか
自分はどうするべきか

それを見極めるための決定的な「根拠」など
結局はないのかもしれません。

ましてや、周囲の誰かが評価を下したり
「根拠」を与えるものでもありません。

 

「選択」してそれを「信じる」
これができるのは、自分自身だけなのです。

 

 

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