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想像してください。
ここは、あなたの勤める会社の会議室です。
あなたは今、何ヶ月もかけて作ってきた商品サンプルを、何人もの幹部の前でプレゼンテーションしています。
その商品サンプル作成のために、あなたは、会社から予定の3倍も出資してもらい、それでも足りない分を自分のありったけのポケットマネーで補ってきました。
開発期間もオーバーしましたが、昼夜問わず取り組み、全力をかけて作ってきました。
間もなく世にでるはずのこの商品を事前に見てもらい、意見を聞くために幹部に集まってもらったのです。
さて、あなたのプレゼンが終わりました。
全員が、水を打ったように沈黙しています。
誰もが、呆然としています。
永遠に続くと思われるような、重苦しい沈黙が流れています。
そして口を開くや、幹部たちは、口々にこう言いました。
「なんてひどい商品なんだ?!」
「こんなものは商品としてとても認められない!」
「よくこんなクズを作ったものだ!」
「全く独りよがりの内容で、消費者には何も理解できない!」
「これほど膨大な予算、長い時間を費やして、こんな幼稚なものしか作れないのか?!」
「先日、他の者が作った商品サンプルBの方が、はるかによくできているじゃないか!!」
その罵り方は、半端ではありません。
あなたは、ただ茫然として、幹部たちの批判を聞くしかありませんでした。。。
実はこれ、「スター・ウォーズ(1977年公開、最初の作品)」の完成間近の試写室での光景です。
プレゼンしていたあなたというのは、「スター・ウォーズ」のジョージ・ルーカス監督。
商品サンプルというのは、映画「スター・ウォーズ」。
実際にはサンプルなどではなく、ほぼ完成していた映画です。
SF大作でありながら低予算で撮影が敢行され、撮影中に数々の想像を絶するトラブルが巻き起こる、まさに受難の連続の制作現場だったようです。
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最初に「スター・ウォーズ」の企画を持ち込んだ映画会社からは、「内容が理解できない」とあっさり断られ、2社目でようやくGoサインが出たものの、映画の内容はやはり理解されていませんでした。
ならず者のハン・ソロ、レイア姫、チューバッカや風変わりなエイリアンたちなど、それまでにない個性的なキャラクター、物語の中であたりまえのように飛び交う未知の宇宙船や乗り物。
そして、宇宙を舞台にしたSF映画なのに、あたかも西部劇のような快活なストーリー展開をするなど、当時の映画会社の上層部の人たちの脳みそは、ついていけなかったのかもしれません。
それだけ画期的な、ぶっ飛んだ内容だったのです。
そして、撮影が始まったと思えばトラブルの連続です。
- チュニジアの砂漠のシーンのロケで、ありえない50年ぶりの豪雨が降って足止めされる。
- 巨大なセットが風で破壊され、日程がタイトなのに、セットを一から作り直すハメになる。
- 何者かに機材一式が盗まれる。
- 劇中に登場するロボット(R2-D2)が動かない。
- 滑るように走るはずの劇中の乗り物(ランド・スピーダー)が走行不能になる。
追い討ちをかけるように、ロケ中にとった食事によってスタッフが赤痢にかかって倒れていくという始末。
その他に、数え上げたらきりがない驚くべきトラブルが、これでもかこれでもかと続く。
「普通に進行することがままならない」状態だったようです。
予定されていたスケジュールはどんどん遅れていき、海外ロケでは予定の半分も撮ることができませんでした。
ルーカスは追い詰められていきます。
もともと物静かな彼は、通常ありえないトラブルの連続とスケジュール問題に打ちのめされ、より無口で陰鬱で弱々しい状態になっていたようです。
無理もないですよね。。。
その後、宇宙船(ミレニアム・ファルコン号)のセットを組んだイギリスのスタジオ撮影では、現地のスタッフに悩まされます。
若いルーカス監督(当時33歳)の指図を受けることを快く思わないベテランのスタッフたちが、彼の言うことを聞かず、ぶつかり合ってしまいます。
彼を「変わり者」扱いする人々、彼自身も彼の映画も理解しようとしない人々の中で、ストレスを抱えながら仕事をする日々が続きます。
現場のテンションは下がり、ルーカスは疲労困憊していきます。
ただ、出演者たち(マーク・ハミル、キャリー・フィッシャー、ハリソン・フォードたち)は、違いました。
この道何十年のベテラン監督のように威張ることをせず、自分たちの意見を取り入れてくれる若きルーカス監督。
彼に応えて、出演者たちは一生懸命に役に取り組んでいたようです。
あるとき、遅れに遅れたスケジュールに業を煮やした映画会社から「あと3日で全てを撮りきれ」という通告が来て、現場は修羅場のような状態となりました。
ルーカスは、さらに死に物狂いで働くことになります。
低予算ですから、自分が直接やらなければならない仕事が多く、文字通り監督自ら走り回っていたようです。
とにかく、何事についてもお金がありません。
SFにつきもののメカニックな小道具や装置は、捨てられたようなクズの中から探し出し、今では有名になったライトセーバー(光の剣)も、古いカメラの筒型フラッシュの廃材を加工して作ったそうです。
しかし驚くべきことに、ルーカスは、こんな状況の中でも、自分の味方であるプロデューサーの忠告を無視してでも、余計な費用のかかる「自分のイメージにマッチしたロケ地」に赴いて、撮影したのです。
もはや「終わらないのではないか」と思えるほどの困難の山をいくつも越え、ようやく撮影は終了し、映画は完成に向かいました。
そして知り合いの監督や関係者を呼んで、試写会を行なったのです。
しかし前述の通り、みんなの反応は絶望的にひどいものでした。
同席していたルーカスの奥さんも、みんなの反応に泣き出す始末です。
企画時でも、撮影時でも、そして完成した後でさえ、ほとんどルーカスの理解者はいなかったのでしょうか?
いえ、試写会でただひとり、映画の出来を絶賛した人がいました。
スティーブン・スピルバーグ監督でした。
「なんてすばらしい映画なんだ!これは大ヒットするに違いない!」
彼は映画を褒め称え、何度も絶賛したというのです。
「この映画がいくら稼ぎ出すか、僕が予想を書いておくよ!」
同席した者は、みなスピルバーグの反応に驚き、懐疑的な表情でした。
ルーカス本人でさえも・・・
そして公開するや、スピルバーグの言うとおり、いや彼の想像以上に「スター・ウォーズ」は大ヒットしました。
当時の全米興行成績ナンバー1に躍り出て、1億2,700万ドルという脅威的な興行収入を叩き出したのです。
「スター・ウォーズ」はシリーズとなり、3部作となり、さらに6部作となり、今では9部作となって、全世界でドル箱シリーズになってしまいました。
(「スター・ウォーズ」の裏話は「1年で365本ひたすら映画を観まくる日記」サイトから抜粋・引用・調整しています)
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誰にも支持されず、理解されず、変人扱いされても映画作りをやめなかったルーカス。
「映画」は彼の人生そのものであり、それをやめるという選択肢はなかったのかも知れません。
しかし、このような想像を絶する地獄の中でも、作ること、こだわることをやめなかったのは、やはりパイオニアとしての意地や力があったのでしょう。
信じられるのは、自分の感性、自分の信条だけ、だったのかもしれません。
「スター・ウォーズ」で成功したはるか後に、彼はこう言っています。
「何をやっても批判されるので、結局観客の望むものを作るしかなくなる。
そうすると、どんどん自由がなくなっていく。
自分はもともと実験的な映画の出身なので、
そういった方面の作品を手がけたいのだが、なかなかできないよ。」
誰もやっていないことをやってみたい、という気持ちが、彼の根底にあるのかもしれません。
「スター・ウォーズ(最初の作品、後にエピソード4と呼ばれる)」は、間違いなくそれまでにない革新的な作品でした。
パイオニアのルーカスにとっては、ビジネスとして成功させなければならないと同時に、実験的な挑戦であったのかもしれません。
どんな困難にも決して諦めず、世界的なヒット作を作り出したルーカス。
彼は言います。
「夢ほど重要なものはありません。
それを心に描かない限り
あなたは何も成し遂げられません」
そして、状況や行動についてこう言っています。
「すべての人が何らかの檻に入れられています。
でも扉の鍵は、いつも開いているのです」
扉を開けるのは自分次第、ということですね。